甘いお味噌汁

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猫の味の空気を吸って、吐いて、目が覚める。日曜日。

 

アーモンドチョコレートの朝ご飯が、奥歯に染みるのを神経に受け止めながら、大きな声で歌ったりする。日曜日。

 

3連休の真ん中には、幾つもの選択肢がある。

 

昼からビールを飲んでいいし、朝ご飯がチョコでいい。昨日より大人になった部分を削ぎ落として、時間を打つだけでも、勿論、いい。

 

 

期待よりいいものが運ばれてきて、分け合うのが妙に楽しく感じるお昼ご飯。温玉が無料です!!日曜日。

 

温玉が無料の日曜日。

 

ご機嫌な日には、ご機嫌な服に出会って、余計ご機嫌になって、帰ってから暗い映画を観たりして帳尻が合う。

 

夜は白ご飯を食べなかったけど、チョコをまた少し食べて帳尻が合う。

 

 

 

 

スプーンと文字

アイスを溶かしながら書く(柚子蜂蜜)。

 

どうでもいいけど、作家さんのことなんかを「物書き」と表すことがありますが、あれはまだ本当に書いていた時の名残よね。今は「物打ち」の場合が殆どかと思いますよって。

 

揚げ足を取るだけの話はここまで。

 

それで考えていたのですが、そもそも本というのはその中にある作品を伝えるための表出方法の一つでしかないのが、面白いなって、今日はただ私が電車のホームなんかで考えているような空想を連ねてみます。

 

音だけで伝えても良いものを、文字に書き起こし、表紙をつけて、必要となれば目次なんかもつけて、本という形に倣って。思い浮かんだ物語を伝えるなら、声を吹き込んで伝えてもいいけれど、小説を”書く”んですね。

 

文字に起こした方が便利だったり、時代的なものがあったりするのかもしれないけど、この聴覚的・視覚的な影響を受けない、ある意味、デザインされていない文字が織りなす文章こそ、読み手は平らな気持ちで文字と向き合えるのかなと思います。

 

本といえば、そもそも本という形そのものの再定義というか、電子書籍も生まれたもんで。未だにあれはしっくり来ないのですが、再定義というのはこれも面白いなと思います。

 

束ねた紙の片方を纏めて、捲って読むようにできているのが本ですが、あの形になってからもう随分安定してあの形なのはもう完成で良いということでしょうか、人類は。巻物の時代からは凄く良くなってる!良くなってるというのは便利になってる。ただ、利便性だけじゃない良さが巻物にあるような感じで、新しい本の形が出来たらいいのにな。

 

私は牛乳パックの形がとても好きなので、せっかく科学やら化学が進歩したなら、言葉の飲み物が、可愛いコップやマグカップとセットになって並んでいるような"本"屋さんを作りたい。

 

 

 

 

燻したチーズ。

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雨の散歩から家に帰ってきて、メゾネットの下の階で着替えたりして、上の階に戻ったら私宛の荷物が届いていた。同居の美人お姉さんが受け取りをしてくれた、「おばあちゃんから」と言われてとっさに九州のおばあちゃんを思い浮かべるのだけど、配達伝票の住所は岡山。父方のおばあちゃんからだった。

 

母と父は私が2歳の時に別れて、それから父には会ったことがない。小学生くらいの時に、「連絡したいなら連絡する権利があるから」と、父方の実家の住所と電話番号が書いてあるノートの切れ端を母に貰った。使うことはないなって思ってる割に、何となく失くしちゃいけないんだろうと、ずっと取って置いたその事務的な感じの紙切れを、必死で探すことになったのは大学の入学が決まった時だった。

 

週明けまでに入学金を払わないと、合格取り消しになるって知らなかった。知っていたけど、奨学金の申請はしていたから何とかなるのだと思い込んでいた。このままでは間に合わないというどん底に、残された選択肢が父方の実家を頼ること。

 

赤ちゃんの時から会っていない方のおばあちゃん。おばあちゃんというのも全然しっくりこないし、向こうだって多分。コールの間、「でも養育費とかも貰ってないんだし」というオマジナイをずっと口に出して唱えた。あっちに行ってるねって、お母さんも部屋の端からこっちに目をやらずに見ている。だから唱えながら待った。

 

知らないおじさんの声がして、私が何か言ったら、知らないおばさんの声に替わった。心配していたのよ、とか言われたと思う。貴女のことなんか知りません、って切られるかもと思っていたから逆に凄く怖くて、お金のこと言わなきゃいけないってやっぱり嫌だったから。本当に申し訳ない気持ちが伝わるように話そうとしてた。

 

表情どころか顔の造形も思い浮かばないおばあちゃんは、すぐに振り込む。返さなくていい。息子がどこにいるのか自分も分からないのだけれど何かあったら電話して欲しいと言った。

 

それから、お母さんが入院した時には岡山からお見舞いに来てくれた。そのとき、初めてじゃないんだけど初めて顔を合わせた。「本当に息子と顔がそっくり。相変わらずどこにいるのか分からないけど、年金の請求は実家に来ているから生きてはいるんだろう。」って。表情も薄くて抑揚なく喋るので、何を感じているのか読みづらい人だと思った。けど、この歳の人が連絡を受けてすぐに岡山から出てくるのは簡単じゃないことも分かってたから少し嬉しかった。

 

 

 

それで、今日届いたのは色んなチーズとかバターの詰め合わせ。

この前の母の日にちょっとした洋菓子を送ったら、珍しく弾む声で電話をかけてきてくれて、コロナを凄く心配してくれていたからかな。私もすぐにお礼の電話をした。

 

チーズ好き?って。ちょっと出掛けた先で美味しそうだったから送ったんだ、って。

 

これ送ってあげようかしらと私の顔が浮かんだんだろうか。

フルトンのモノクロ傘

最近観た邦画で、突然、女の子がお洒落な傘を差していた。

 

連日の湿気と低気圧に振り回されっぱなしだった私の目に飛び込んできた、傘。欲しいと思ったわけじゃないの。雨の日にしかないチャンス、ここぞとばかりに開いているような気がして可愛いなって。

 

フルトンの傘。シンプルなビニールが縁を太い黒い色でまとめられていてモノクロに映える。一張羅を着なきゃ、それでいて雨が降っていないと、差せない特別な傘と思っていたのに、普通の服きた普通の子が至極当然何の違和感も伝えず差したシーン。

 

ちょっと待って、正直言うと欲しい。

悔しい。

 

何で素直に最初から欲しいって言えないの。

 

あのね、痩せてからとか、髪を切りに行ってから、

あの服を買ってからだって言ってたんじゃ

欲しいものはどんどん手に入らなくなるの。

 

何でか解る?

どんどん忘れていっちゃうから。

 

そんなね、すぐに忘れて行っちゃうような物は

本当に欲しかった物じゃなかったんだよという

お母さん思考は、それこそ今は捨てておいて

忘れちゃうのは、絶え間ない現実が

脳みそをかっさらっていくせいなんだから。

 

あんな可愛いフルトンの傘。玄関に立て掛けておきたい。

そしたら明日から変われる気がする。

コンビニに行くんじゃなくて、

カフェで文庫本なんて読みに家を出る、あの傘を差して。

あの傘を差したいから。

そしたらあの服も着たいし、メイクもしちゃおうかな。

 

という夢を背負った、グラスやぬいぐるみに

スニーカーがたくさんあることは今は内緒にしておく。

 

またネ!

 

 

 

 

灰色の雨に見惚れて

文章を書いてみたらと言われたりとか、占いに文章を書き始めるといい月ですとか、そういうのが重なることってみんな結構あることなんでしょうか。

私としては、人生で初めてこんなにあからさまだったので、これは書いたほうがいいのかなと、手っ取り早くブログを書くことに。最近、もの凄く占いを信じるようになりました。

 

26歳になって23日が経過。

8月から新しい職場で働くことが決まって、今はそれまでの何をしてもいい日々。働くのに向けて、昨日は髪を切りに行った。明日か明後日にはピザパーティーをするし、今日は誕生日と転職のお祝いにと美味しい上等な鰻をご馳走になった。鰻ざくと鰻巻きも食べたから、しばらく再生される細胞はうなぎパワー全開だ。映画も二本立て続けに観ちゃう。

 

検察側の罪人」。一緒に住んでるみきちゃん(28歳と216ヶ月)がネットのまとめサイトで、いつもお勧めされるって言うので。

「SUNNY 強い気持ち・強い愛」。私の観たことがある大根仁監督の作品は、圧倒的メジャー感があるんだけど、配役だったり選曲だったりに始まり、緻密さを感じて自分の物語として受け取れる。それでいてちょっぴりファンタジー

 

まだまだ鰻でいっぱいのお腹で、二人とも安室ちゃんの世代じゃないよねと、高校生の時は下から数えるほどの成績だったこととか、Greeeenが流行ってたとかそんな話をたくさんしながら、缶ビールとピザポテトと冷蔵庫のキムチをやっつけた。

 

しばらくは時間贅沢日記みたいになりそうだけど、明日はそろそろYouTubeにも手を付けたいと思います。

 

またネ。